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豐景神社について

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神社について

豐景神社

ご祭神

豐斟渟命(とよくんのうのみこと)
鎌倉権五郎景正公(かまくらごんごろうかげまさこう)

豐斟渟命は神世七代のうちの一柱で、日本書紀では「豐雲野命」と書かれていることから豊かな雲と大地を表す神とされており五穀豊穣・万物に恵みを与える神と仰がれております。
鎌倉権五郎景正公は桓武天皇の(五十代)末裔、平氏一門で鎮守府将軍平良文を祖父に持つ、平安時代の平氏の武士で武運長久・眼病平癒・厄除けの神として仰がれております。

ご由緒

豐景神社は前九年の役の折、鎮守府将軍源頼義・義家父子が当地を訪れた際に凶作に苦しむ里人を救うために、豐斟渟命(とよくんのうのみこと)を祀る「御霊宮」を1056年に阿武隈川沿岸に創建しました。
その後、後三年の役(1083~1087年) では、竜蛇の災いで凶作に苦しんでいる住民を憂い源義家が家臣・鎌倉権五郎景政に命じ竜蛇を退治されました。この年より凶作もなく天養元年(1144年)その功績に感謝し鎌倉権五郎景政の御霊を合祀しました。
天正16年(1588年) の郡山合戦の兵火にかかり福原の村落・社殿は悉く焼失し、元和2年(1616年) に奥州街道の整備に伴い村の人々と共に現在の地へ遷座しました。寛保2年(1742年)神祇官令により「正一位御霊宮」の神号を授与さてました
明治元年(1868年) の神仏分離令の施行により、御祭神であるの豐斟渟命「豐」と、鎌倉権五郎景政公の「景」の一文字ずつを頂き、現在の「豐景神社」と改称されました。
天保年間に造営された社殿は数度の改修を行うも老朽化が進み、地域の方々のお力添えをいただき昭和57年に新築工事が着工し、昭和58年に竣工をむかえ現在の社殿がお祀りされました
現在は境内に四季折々の花が咲き「ふくのまちの鎮守さま」として多くの方に信仰されております。

社号額

松方正義 書
初代・第3、5、8代大蔵大臣
第4,6代内閣総理大臣
日本銀行設立を行うなど財政通として大きな功績をのこす

松方正義 書
初代・第3、5、8代大蔵大臣
第4,6代内閣総理大臣
日本銀行設立を行うなど財政通として

大きな功績をのこす

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福原天満宮

ご祭神

菅原道真公(すがわらのみちざねこう)

菅原道真公は学問で朝廷に仕える家系にお生まれになり昼夜学問に励まれ、当時学者の最高位である「学問博士」に任じられ朝廷に仕えた方で学問の神様、文化芸術の神様、厄除けの神様仰がれております。

ご由緒

1841年司務別当大鳥居延寿王院より御分霊をいただき境内にお祀りされました。社殿は豐景神社の再建に伴い昭和59年に建て替えられました。地域の学問の神様として学業に励まれる多くの方に信仰されております。

豐景神社の太々神楽

豐景神社の太々神楽は、出雲流神楽で元和二年(1616年)の遷宮の際に近隣の神職によって奉納されたと伝えられていますが、それ以前の記録は郡山合戦の兵火に遭い焼失してしまい起源をうかがい知ることはできません。古い記録では、天保十一年(1840年の祭典 費支出帳に、田村郡の神職によって奉納されたと記されています。神楽の特徴 豐景神社の太々神楽は、江戸時代に田村流と安積流が融合し、独自の神楽として発展しました。明治以降は地域の氏子により代々受け継がれ昭和60年郡山市指定重要無形民俗文化財、平成6年福島県指定重要無形民俗文化財に指定され、平成5年の第61回伊勢神宮式年遷宮奉祝行事では内宮・外宮両宮にて奉納されました。

境内マップ

① 手水舎

② 御札授与所

③ 社務所

④ 神楽殿

​⑤ 福原天満宮

⑥ 撫牛

​⑦ 富久山福原天満宮

⑧ 駐車場

アクセス

名称

豐景神社

電話番号

024-934-0206

所在地

〒963-8061 福島県郡山市富久山町福原字福原1番地

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